こんにちは、男児の母(@chi31123306)です。
息子の出生から現在までの症状や治療を記録していきたいと思います。
今回は9月の出生から年明けまでのお話です。
膿疱性乾癬と診断されるまで簡潔に書いているのはこちら↓
読みやすいように、以下の通りの表示を行っています。
小児科に関しての状態・治療・検査はこのような表示にしてます。
皮膚に関しての 状態・治療・検査 はこのような表示にしてます。
2018年9月 出生と入院
安産で生まれた息子でしたが、血中酸素飽和度が低く、「新生児呼吸障害」と診断されました。
新生児一過性多呼吸(新生児湿性肺症候群)とは
出生後、肺の中に過剰の液体があるために一時的な呼吸困難が起こって、血液中の酸素レベルが低くなる病気です。
引用:MSDマニュアル家庭版より
3~4日で回復すると思われていましたが、レントゲンで回復は見られませんでした。
状態 酸素は90%を下回り、酸素が行き届いていない体は紫色の肌をしていました。
治療 酸素吸入のみで、保育器内の酸素濃度を高くして過ごしていました。
母子同室は叶わず、私だけ先に退院しました。
大部屋だったので、赤ちゃんが泣きお母さんがあやす声を聞いて、息苦しい日々でした……。
あの頃は「なんで私の隣には赤ちゃんがいないの?」と何度も思い詰めていました。
退院後は毎日搾乳した母乳を届けに行きました。
CTを撮ると、すぐ呼び出された私は即日転院を告げられました。
約1か月のNICU入院でした。
状態 転院時の状態は、起きているときの呼吸は安定していて、睡眠時はまだ不安定だった。
治療 睡眠時のみの酸素吸入を行う。
私は今朝搾乳した母乳とバスタオルに包んだ息子を抱いて、先生と一緒に救急車で転院先の大学病院へと向かいました。
転院と肺の経過
10月、転院
なんとびっくり!急な母子同室の始まりです。
一緒に寝たことがなかったので、サイクルがわからずてんやわんや。
そして入院の準備も心の準備もなく来たものだから、長男次男といきなり離れる事態に。
CTの結果「間質性肺炎の疑い」 でした。
間質性肺炎とは
肺は肺胞というブドウの房状の小さな袋がたくさん集まってできています。間質性肺炎は、肺胞の壁に炎症や損傷が起こり、壁が厚く硬くなるため(線維化)、酸素を取り込みにくくなる病気です。
引用:一般社団法人 日本呼吸器学会より
ただ、レントゲンやCTでも肺炎のような影は見られるものの、血液検査で肺炎の数値が低かったことから、「初見と数値が合致していない為、肺炎かどうか不明」と言われました。
状態 やはり睡眠時は酸素が下がる。
治療 転院後は昼夜問わず酸素吸入を行った。
呼吸以外は異常がないため、予防接種もスケジュール通り行いました。
とにかく「一般的な風邪が命取りとなる」と言われ、外出・外泊はもちろん不可。
冬時期は入院が決定しました。
11月、遺伝子検査
出生時からの症状であることから、「遺伝性の間質性肺炎の疑い」として遺伝子検査をすることになりました。
検査 「遺伝性間質性肺疾患」であるかどうか遺伝子検査のために血液を他大学へ送付。(結果は何か月か要する)
生まれて初めて兄弟にあったのは生後3か月になる前でした。
小児科は15歳未満の子どもの立ち入りを禁止しています。
風邪ひいていないこと、マスクをすることなどを確認した上で面談室での面会となりました。
お兄ちゃんたちも寝返りもするし、少し肉がついている(新生児じゃない)赤ちゃんとの対面に、「かわいい」「小さい」とただただ頭を撫でていました。
クリスマス、正月を病院で過ごしました。
私は長男次男が風邪だったこともあり、12月末~1月末まで約1か月間付き添いを交代せず缶詰状態でした。
病院に菌を持ち込まないよう細心の注意を払っていました。
状態 日に日に酸素が落ち着き、夜間のみモニターを付けていました。
体重・身長・発達に問題はなく、成長は順調。
治療 12月(生後3か月)になると酸素吸入をなくすことができました。→治療なし。
点滴してない=退院できる、と思われる方が多くて「まだ退院できません」って言うのが辛かったな……
週に2回の面会に来る夫はパパではなく「知り合いの男の人」となっていました。
目が合うと泣きます。抱っこされても泣きます。手を握っても泣きます。
人見知りを発揮する息子に、夫も何とも言えない感情を抱いていたことでしょう。
そして、2月。
治療もなく、風邪に気を付けるだけの入院生活が一変します。
生後5か月になる息子の肌に異変が起こりました。
それは膿疱性乾癬の前兆でした。
次回、前兆と膿疱性乾癬の診断~退院まで。
読んでくださり、ありがとうございました。
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